ひめくり日記, 展示会の様子

【『庭とエスキース展』めぐり】2日目。

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【『庭とエスキース展』めぐり】2日目。
あいにくのお天気ですが、そんな中でも展示を観に来てくださる方がいらしてありがたいです。

上の大きな写真は“弁造さん”が絵を描いているところを奥山さんが撮ったもの。
奥山さんが14年間、弁造さんを訪ね続けた中で、唯一完成された絵がこちらだったそうです。
完成されたこの絵は、BOOKNERDさんに展示されています。

これまで、全国各地を巡回してきた「弁造さんのエスキース展」~今日も完成しない絵を描いて~。
奥山さんがなぜ14年もの間、井上弁造さんという人に何度も会いに行ったのか。
弁造さんはどんな人だったのか。
みすず書房から出版された奥山さんの著書『庭とエスキース』を読むことで見えてくることもあるかと思いますが、今日は、奥山さんがこの展示に寄せてくださっている言葉をご紹介したいと思います。

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いつまでも完成しない絵を描き続ける。僕が弁造さんを見つめたのは、1998年から2012年までの14年間でしたが、弁造さんという人はいつもそうでした。ひと部屋しかない小さな丸太小屋のなかでイーゼルに向き合い、女性をモチーフにした“エスキース”ばかりを描き続けました。南国を思わせる木陰で横たわる裸の女性。自慢の髪をかきあげる女性。何気ないひとときを過ごす母と娘。北海道で畑と森からなる「庭」を作って自給自足の生活を続け、生涯を独身で過ごした弁造さんがなぜこのような縁もゆかりもない女性たちを描き続けたのか。それは僕にとって、“弁造さん”を知るうえで欠かすことができない問いかけでした。
しかし、弁造さんは女性たちを描く理由を語らぬまま、92歳の春にプイと逝ってしまいました。でも、だからなのでしょう。弁造さんが逝ってしまって7年の月日が流れた今日であっても、僕は新たな想像を抱くことを許されます。鮮やかな向日葵色をまとった女性たちのおしゃべりに耳を傾け、弁造さんの胸の内を思い描き、そのたびに新たな弁造さんから“生きること”の奥深さを見つけるのです。
弁造さんがいなくなってしまった丸太小屋にはたくさんのエスキースが遺されていました。その一枚一枚に描かれた筆跡を辿りながら、弁造さんの“生きること”から放たれている光の綾を一緒に感じていただけますように。
写真家 奥山淳志

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この展示のお話を打ち合わせし始めた頃は、すでに東京、秋田、福岡、愛知…と各地での開催が決まっていて、今年の年末、岩手でひと区切り…なんて言っていたのですが、なんのなんの、その後も各地から声がかかって来年3月までは予定が決まっているとか。

詳しい情報はこちらをご覧ください。→ 

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今朝(薄暗かったですね)、岩手朝日放送「ちょっといいコト」のアートコーナーに出演する奥山さんを拝見。
各地で開催しているエスキース展では会場は一カ所のことがほとんどなのに、盛岡ではなぜ3カ所でやることにしたのか?という話の中に、わたくし登場させていただき光栄でした(笑)。
それは、弁造さんの作品をなるべく多く展示できる形として奥山さんからの提案があって、奥山さんの本を扱っているBOOKNERDさんや、Cyg内に新しくできたスペースであるToastさんに声を掛け、それぞれご快諾いただいて話はスムーズにまとまったのでした。

さて、明日の天気予報は晴れ。
よろしければお出かけください。

※HPの【お知らせ】ページを更新しました。
年明け1月、いくつかのワークショップを開催します。 まずは第一弾、毎年恒例の「旧暦の書初めワークショップ」のご案内です。
ご興味のある方はご覧になってみてください。

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今日は東和町の山本実紀さんのところへちょこっとお邪魔してきました。
羊たちにいやされました~🐑🐑

 

 

2019年12月14日 | ひめくり日記, 展示会の様子